『完全なる首長竜の日』と胡蝶の夢。荘子です。 今回は『リアル~完全なる首長竜の日~』と荘子について。今年の6月に公開予定の日本映画。綾瀬はるかさんと佐藤健さんが共演なさるそうです。原作は、「第9回 このミステリーがすごい!」大賞受賞作、『完全なる首長竜の日』。作者は乾緑郎という方で、ペンネームは手塚治虫作品のロックからなんですと。 参照:リアル〜完全なる首長竜〜の日 予告編 一分ver https://www.youtube.com/watch?v=jpgTLubluWk この『完全なる首長竜の日』という小説は、いろんな作品の要素を組み合わせた構成をしています。大きな流れはJ.D.サリンジャーの『九つの物語(ナイン・ストーリーズ)』に収録された「バナナ魚にはもってこいの日(A Perfect Day for Bananafish)」に沿っています。タイトルもそこから。で、主題としてあるのが、作中でもたびたび登場する荘子の「胡蝶の夢」です。近年で「胡蝶の夢」を扱った作品といえば、芥川賞を受賞した円城塔さんの『道化師の蝶』などもありますが、『完全なる首長竜の日』も同じように、ジャンル分けしようとしても、どれとは決めつけきれない小説です。 参照:『道化師の蝶』と荘子。 http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5111/ ≪阿佐ヶ谷のワンルームマンション。私の部屋は四階にあった。 「ねえ、沢野くん」 不意に私は沢野に声を掛けた。 「何です?」 「『胡蝶の夢』って知ってる?」 「ああ、はい。知ってますよ。『荘子』ですよね」 質問の内容が唐突だったのか、沢野は不思議そうな顔をしている。 「蝶になった夢を見ている人がいる。だがそれは、蝶が人になった夢を見ているだけかもしれない。たしか、そんな話でしたよね」 「うん」 「何です先生、急に。新作のアイデアか何かですか」 「まあ、そんなところかしら」 私は適当な返事をしたが、沢野は興味ありげに身を乗り出してきた。 「『胡蝶の夢』に関してなら、デカルトも同じようなことを言っていますよ。---我々は夢の中ですら自分が覚醒していると考えることがあるから、その区別は明確にはできない。知覚は全て偽物であり、今の自分は夢を見ている可能性があるって」 「そう」 「ほかにもたくさんいますよ。カルデロン・デ・ラ・バルカの『人生は夢』、それから能の『邯鄲』に、シェイクスピアの世界劇場の思想も考え方が似ています。この世はひとつの舞台であり、人は男も女も皆、役者に過ぎぬ...これは『お気に召すまま』の科白だったかな」 まるで火が付いたかのように口から泡を飛ばして喋り続ける沢野を、私は呆れた思いで見つめた。 「最近なら、哲学者のニック・ボストロムも同じようなことを言っています。惑星あるいは宇宙全体をシミュレート可能な高度な文明が存在すると仮定するなら、我々の感じている現実は、それらのシミュレーションの中にあるという証拠と可能性が十分にあるという懐疑主義的な仮説で...」 「ええと」 沢野の声を遮るようにして私は言った。 「沢野くんって、大学どこ出ているんだっけ」(以上『完全なる首長竜の日』乾緑郎著より)≫ ・・・「胡蝶の夢」を、シミュレーテッドリアリティ、ブレイン・マシン・インタフェース(脳介機装置)、水槽の脳の仮説等々の、哲学と科学のあわいに布置しています。こうするとSFとして読めてしまうわけです。 Wikipedia シミュレーテッドリアリティ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3 Wikipediaなら、残念ながら日本語版よりも英語版の方が詳しく「胡蝶の夢( Zhuangzi's 'Butterfly Dream')」について載せています。 参照:Wikipedia Simulated reality http://en.wikipedia.org/wiki/Simulated_reality 『昔者荘周夢為胡蝶、栩栩然胡蝶也、自喩適志與。不知周也。俄然覚、則遽遽然周也。 不知周之夢為胡蝶與、胡蝶之夢為周與。周與胡蝶、則必有分矣。此之謂物化。』(『荘子』 斉物論 第二) →昔、荘周という人が、蝶になる夢をみた。ひらひらゆらゆらと、夢の中では当たり前のように蝶になっていた。自分が荘周という人間だなんてすっかり忘れていた。ふと目覚めてみると、荘周に戻っているではないか。荘周が夢の中で胡蝶になったのか、胡蝶が荘周になった夢をみているのか、分からない。荘周と胡蝶にはきっと区別があるだろう。これを「物化」という。 参照:Dream argument http://en.wikipedia.org/wiki/Dream_argument デカルトと荘子の対比については、Wikipediaでは、"Dream argument"の項目にあります。 「夢飲酒者、旦而哭泣。夢哭泣者、旦而田獵。方其夢也、不知其夢也。夢之中又占其夢焉、覺而後知其夢也。且有大覺而後知此其大夢也、而愚者自以為覺、竊竊然知之。君乎、牧乎、固哉。丘也與女、皆夢也、予謂女夢、亦夢也。」(『荘子』斉物論 第二) →夢の中で酒を飲んでいた者が、目覚めてから「あれは夢だったのか」と泣いた。夢の中で泣いていた者が、夢のことを忘れてさっさと狩りに行ってしまった。夢の中ではそれが夢であることはわからず、夢の中で夢占いをする者すらある。目が覚めてから、ああ、あれは夢だったのかと気付くものだ。大いなる目覚めがあってこそ、大いなる夢の存在に気付く。愚か者は自ら目覚めたとは大はしゃぎして、あの人は立派だ、あの人はつまらないなどとまくし立てているが、孔子だって、あなただって、皆、夢の中にいるのだ。そういう私ですら、また、夢の中にいるのだがね。 作者の乾緑郎さんは鍼灸師も兼業されているようで、大胆であるように見えて「ツボ」は心得ていらっしゃいます。もともとサリンジャーの「バナナ魚にはもってこいの日(A Perfect Day for Bananafish)」は、 “We know the sound of two hands clapping. But what is the sound of one hand clapping? (われわれは両手で叩く手の音を知っている。 ならば、片手で叩く手の音とは何か?)” という、臨済宗の白隠慧鶴の公案「隻手の聲」で始まる小説です。東洋思想の中でも、老荘思想と禅仏教の両刀使いが西洋人には非常に多いんですがサリンジャーもその一人。 参照:『黄金の華の秘密』と『夜船閑話』。 http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5146/ 『完全なる首長竜の日』では、「SCインターフェイス」という機器を利用して、昏睡状態の人間の意識に侵入する「センシング」という手法を利用しています。 近年で言うと筒井康隆原作で故・今敏監督の『パプリカ(2006)』や、奇しくも『完全なる首長竜の日』の受賞時期と同年に公開されたクリストファー・ノーランの『インセプション(2010)』などにも使われたものと同種のものです。 参照:インセプションと胡蝶の夢。 http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5062/ Paprika - Inception Style https://www.youtube.com/watch?v=0YOBLTSXCFY 参照:paprika×Inception Trailer パプリカ×インセプション風予告篇 https://www.youtube.com/watch?v=QCEJNMt7mYs 少なくとも、原作の段階では『インセプション』のパクリとは言い難いです。 というのも、 もう一つ影響を受けた作品として、フィリップ・K・ディックの『ユービック (Ubik)』(1969)の名前が出ております。崩壊する現実について、フィリップ・K・ディックの真骨頂ともいうべき傑作で、『首長竜』の手法にも共通点がみられます。「憑依」という単語とかは『ユービック』からの影響でしょう。 『ユービック』が書かれた前年の1968年、「SF作家としての経験の中であなたに最も実り豊かなアイデアを提供してくれた、どんな出典や資料を新人作家に推薦しますか?」という質問に、PKDはこう答えています。 ≪臨床心理学の最新の研究、とくにヨーロッパ実存心理分析学派の仕事を扱っている定期刊行物。C・G・ユング。禅仏教、老荘思想などの東洋の著作。通俗的でない、典拠の確かな歴史書(たとえば、『ブルータル・フレンドシップ』)。中世の著作、とくにガラス製法のような工芸、科学、錬金術、宗教を扱った著作。ギリシア哲学、あらゆる種類のローマの文献、ペルシアの宗教書。芸術理論に関するルネサンス時代の研究書。ドイツロマン派の劇作。(The Double:Bill Symposium:Replies to A Questionnaire for Professional SF Writers and Editors )『フィリップ・K・ディックのすべて』より≫ 参照:ディックとユングと東洋思想。 http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5141/ そして、彼は「現実(reality)」について、こんな図を描いたのです。 参照:ディックとユングと東洋思想 その2。 http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5154/ フィリップ・K・ディックのリアリティ。 http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5153/ 今日はこの辺で。 ジャンル別一覧
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